人間この信じやすき者

こんにちは。約3年ぶりぐらいの書込みとなります,ごとりんです。さて劇団ぼるぼっくすの第5回講演の題材は「廃校と幽霊」です。「幽霊」というと,なんだかオカルトっぽいですが,今回のお芝居にでてくる「幽霊」はなんだか実在の人間以上にポエティックな感じになっています。

 「人間この信じやすきもの~迷信・過信はどうして生まれるか」(トーマス・ギロビッチ著 新曜社)という認知科学の名著がありまして,この本では迷信や過信は,人間独自のヒューリスティックな特性に由来するものと説明しています。たとえば,人間が朝起きて寝るまでの時間をふりかえってみると,現代では膨大な情報があふれかえっています。これをすべて緻密に収集して分析することは不可能ですから,人間はどうしても物事を単純化して解釈してしまいます。「二度あることは三度ある」…といいますが,「どうして二度あることは三度あるのか」を緻密に分析することなく,「ああ,このトラブルは2回目だから3回目もあるよね」と単純化して完了してしまうことはままあることです。でも実際には1回目のトラブルを放置いていたせいで原因も解明されず対策もとっていなかったから2回目のトラブルになったわけで,2回目も同じことをしていたら,それは確かに3回目も同様のトラブルは避けられないでしょう。

じゃ,「幽霊」はどうして見えるのか…というと,理解できないことや不可解なことをそのまま放置するのには便利な概念だからです。説明不可能にみえる事象(ラップ音がするとか,誰もいないはずなのに足音がするとか)は,よ~く考えるとなんらかの物理的原因があるはずですが,まあ,それを突き詰めて考えるよりも「幽霊じゃね」で片付けたほうが,物事がスムースにいくっていうことがあります。

でもですね。これって裏返すと,「幽霊」は,突き詰めて考えたりする対象からはずされた可哀想な存在ということでもあるんです。誰かがその存在を気にして,「なんで幽霊がいるように感じるんだろう」とか分析してくれれば,「幽霊」も報われるんですけれどもね。

トーマス・ギロビッチの考え方を応用すれば,周囲の人間が複雑な事象を単純化した結果が「幽霊」ですから,基本,誰もその存在理由とか気にしません。

「誰もその存在を気にしない」のが幽霊なので,ホラー小説ではややひねくれた性格の幽霊がよく登場しますが,劇団ぼるぼっくすの第5回公演「成仏は一日にしてならず」では,哀愁あふれる幽霊や,その幽霊の存在を気にかける生身の人間が登場人物となります。
ちょうど13日迎え盆の翌日14日,中日の15日,そして送り盆の16日の3日間にわたって公演がおこなわれますが,「誰も気にしない」はずの幽霊たちの存在理由,ちょっと観に来てみませんか。

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