こんばんは。ごとりんです。前回は「黎明編」として「ヒモ」の定義を強みと弱みを活かした具体的戦略をご説明いたしました。今回のテーマは,「ヒモ」の雄志編(市場展開)です。
「ヒモ」の市場展開といいますと,具体的には女性のタイプということになります。いろいろな思惑やお考えがありますが,人間のタイプを「頭の良し悪し」と「自己認識」の度合いで4つに分類しますと,以下のようになります。
この場合の「頭の良し悪し」というのは,別に知能指数とか学歴とかといったことではありません。物事の理解の深さや判断力といったごくごく一般的な能力を指します。ハーバード大学の卒業生だからといって,必ずしも判断力や実践力が優れた人ばかりではないですよね。そういうことです。
(1)頭が良く自分でもわかっている人
こういうタイプの女性は,「ヒモ」を必要としません。能力があり,それを自分でもしっかり認識しているわけですから,多少の困難は自力で乗り越えていきます。いわゆるキャリアウーマンタイプの女性が相当しますが,職種が研究者であれ通訳であれ,的確な自己認識をベースに,自分の道を切り開いていきます。「ヒモ」というよりも「ツバメ」のほうが必要かもしれません。
(2)頭が悪く自分でもわかっている人
こういうタイプの女性も,「ヒモ」を必要としません。いわゆるマイルドヤンキーのタイプですが,己の分をわきまえて地元で地に足のついた人生を送っていきます。というよりも,幸せな家庭をしっかり構築するタイプですね。若くして結婚して,子供を早く産み,地域に密着した家庭を堅実に構築していきます。「ヒモ」を必要としない…というよりも,「ヒモ」を養う余裕もない,といったケースがありますが,それはまあ,別問題の話となります。
(3)頭が良いが自分ではそう思っていない人
高学歴の方が多く、実際に高い能力があるように周囲から見えますが,今一つ自分に自信が持てないタイプを指します。実は「ヒモ」が狙い打ちすべきセグメントがこのタイプです。
親友とかカウンセラーとかだと,自己評価が低すぎる人に対しては,「そんなことないよ」「やればできるよ」と励ましたり,自尊心を確立できるようにともに頑張るわけですし、それが人として当然あるべき姿ですが、「ヒモ」はそんなことは考えません。
ひたすら「なんてダメな人間なんだ」「なんでこんなことができないんだ」「でも俺がそばにいてやるよ」「そばにいてやる代わりにお小遣いくれよ」…という論理構造です。
女性にとってみると不安を掻き立てられる代わりに、一種の安心保証料として「ヒモ」にお金を払うわけですが、冷静に考えてみると、生命保険会社に損害保険会社、「投資をしないと老後が不安ですよ」とあおる証券会社や信託会社など、過度に不安感をあおってビジネスを成立させている例は、他にもあるわけで、「ヒモ」を批判するのと同様に消費者の不安をあおって不必要な金融商品を買わせようとする大企業も批判しなくちゃならないかもしれませんね。
(4)頭が悪いが自分ではそう思っていない人
えー、実はこのセグメントも「ヒモ」の大好物です。このタイプの女性には、「いや、君はすごい」「みんなは認めないけれど僕は君の個性や生き様がよく理解できる」「これだけ褒めているんだからお金ちょうだい」という論理構造ですね。(3)とは逆に、必要以上に自尊心を高め、高ぶった心の隙間を狙ってお金をせしめようというわけです。
人間だれしも自分が可愛いものですし、自分に対して辛辣なことをいう男性よりは、過剰なまでに肯定してくれる男性のほうになびきやすいもの。とはいえ客観的に自己をみつめることができる女性であれば、こんな気持ちの悪いお世辞にはひっかからないですが、残念ながら自己を客観視できない女性、しかも頭の回転にやや不具合のある女性は簡単にひっかかってしまいます。
「ヒモ」にとっては狙い目のセグメントですが、狙われる女性にとっては、日常的に自分自身を客観的に認識すべく、修行を積んでおきましょう。「ヒモ」のみならず、怪しいマルチ商法やら新興なんちゃらとかにもひっかかりやすいのがこのセグメントです。「ヒモ」よりさらにたちが悪いですから、気を付けましょうね。
結論としましては、自己の能力や素質を的確に評価している女性は、「ヒモ」にはひっかからず、地頭が良かろうと悪かろうと、客観的に自分が見れない女性は「ヒモ」に騙される可能性が高くなります。ソクラテスは「汝、自身を知れ」と名言を残しましたが、そのソクラテスの奥様はかなりの悪妻だったというのは歴史的事実です。もしかすると、悪い女性に騙されたソクラテスは、自らの不明を恥じて「汝、自身を知れ」と心底思っていたのかもしれません。まあ、地に足がついた生活をおくっていれば男性も女性も「ヒモ」とは無縁の堅実な人生がおくれます。そして、派手さのかけらもない人生のようですが、自分自身の能力を見極め、着実に生きていく姿勢があれば、どこかにあるかもわからぬ「真実の愛」に巡り合うチャンスも増えるのかもしれません。